昭和の作詞家、なかにし礼。
その自伝的小説。
16年前に絶縁した兄が死んだ。
それを知らせる電話があり「万歳!」と小さく叫ぶ。
葬儀が終わると「死んでくれてありがとう」と内心で叫ぶ。
兄弟に、いったい何があったのか。
まず兄への疑問がわく。
すると次の章では「その男は現れた」と50年前の記憶に戻る。
1946年、終戦直後の小樽に。
学徒出陣していた兄が帰ってきたのだ。
感動の再会…かと思ったら、それは間が抜けていたと意外な展開。
軍服に軍刀を下げていた兄が、赤と黒のチェックのオーバーを着てハットをかぶり、派手な妻を連れて現れた。
英語の歌を口ずさみながら。
個人的には、こういう変わり身の早い人は好きなのだけど、次からが酷い。
いきなりクライマックスになる。
ブラブラしていた兄は、無断で家を担保にして高利貸しから金を借りる。
ニシン漁の網の権利を買い、絶妙に失敗する。
家は取られた。
兄が現れてから、わずか3ヵ月余り。
家族は東京へいき、それから青森、また東京と転々。
兄の事業の失敗の連続で、生活は困窮する。
それでも15年後には、弟は作詞家として成功。
印税で豪邸を建て家族で住む。
が、それも4年間だけ。
また兄の失敗で豪邸をとられる。
で、絶縁。
最後は、また「兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう」と叫んで終わる。
あらすじは簡単だけど、本文には複雑な気持ちが混ぜられて描かれていく。

文庫本|2001年発刊|409ページ|文藝春秋
初出: オール読物 1997年6月号~
単行本: 1998年発刊
カバー: 菊池信義
カバー写真: 瀬尾明男
なかにし礼の本は、これがはじめて。
きっかけは、日経新聞に掲載されていた『私の履歴書』を読んで。
『ヒット曲を生むコツは、皆が心の中でモヤモヤとしている何かを言葉にすること。』
もう何年も前なのに、この一文が記憶に残っていた。
小説も読んでみたいなと思っているうちに、2020年に82歳で死去との訃報が。
なんでだろう?
死去したとなると読みたくなるのは?
リズムを感じたのは作詞家だからか

読んでみると、スイスイと進む。
作詞家だからか、と気がついた。
リズムがいい。
そっちの世界のことはわからないけど。
50年間が流れるように407ページに収まっている。
それでいて情景が細かく伝わってくる。
大バクチのようなニシン漁では、皆が反対しながらも興奮しているのが伝わってくる。
雪まじりの風の中での出来事が幻想的に描かれて、行ったことも見たこともない浜辺が映像として頭に残る。
スイスイ読めるのは、アップダウンが効いているからか

あと、リズムがいいと感じるのは、アップダウンも効いているからかも。
悲惨から、サビのような絶頂があって、すぐにどん底に。
暗さばかりでなく、おかしさもふんだんにある。
でも、笑おうとしても、もう次の展開がくる。
アップダウンは、ページをめくる手を止めて笑う、という読書をさせてくれない。
どん底から、弟が作詞家として成功するのは奇跡のようで「ああ、よかったな」と率直に思う。
そして、それらのすべてを兄がぶち壊すのも、なんかどうか気持ちがいい。
残念なのは、BGMのようにしてヒット曲の歌詞がもいくつも出てくるのだけど、昭和の歌謡曲なのでよくわからないこと。
ただ、古さは感じない。
四七抜きの音階が日本人の感性には心地がいい、核となる語句がメロディーに乗っているか、アクセントになっているか、暗闇に投げた石が何かにカツンと当たったような手応えを感じた、と歌はわからなくてもワクワク感に満ちている。
セリフに息遣いともいうのか、リアルさがある

あと、リズムがいいと感じさせるのは、セリフにあるのかもしれない。
ざっと見たところ、半分近くはセリフで描かれているのではないのか?
名言があるのではない。
ドラマチックな文言もない。
けど、本当にこう話していたんだろうな…という臨場感、息遣いともいうのか、リアルさがある。
気持ちの揺れや複雑な心境が、そのまま伝わってくる。
そうそう。
セリフがいいといえば。
筒井康隆の小説もそう感じていると、巻末の解説には元劇団員だからとあったのも思い出した。
黒川博行でも同じことを感じていたら、解説には、セリフは声に出して一晩中かけて書いているとあった。
声に携わる人や声にこだわる人が書く小説というのはおもしろいのかも。
そんな気づきもあって、読書の幅が広がりもした。
ネタバレ登場人物
中西禮三

1938年、満州牡丹江市生まれ。
1945年、ソ連侵攻で父親は死去。
父親の実家がある北海道小樽市へ、母と姉とともに逃げる。
小樽には5ヶ月住む。
のち、中学は青森、高校は東京と転々とする。
奨学金とアルバイトで大学に通う傍ら、フランスで流行していたシャンソンの訳詞を頼まれる。
それが好評で、依頼が増え、生計が立つようにもなる。
作詞家として成功するきっかけは、新婚旅行で訪れた下田のホテルのバー。
新婚カップルの観察をして、暇つぶしをしていた石原裕次郎から声をかけられる、というラッキーがあった。
作詞した歌は、紅白歌合戦では7曲も歌われ、レコード販売数は累計1500万枚を突破。
印税で中野に豪邸を建てる。
事務所として青山にビルも購入する。
一方では、兄に1千万単位で金を貸す。
兄が事業で失敗すると、言われるがまま連帯保証人となり、全財産を処分しても3億5千万の借金が残る。
このあたりは理不尽である。
破滅すると、周囲からは止められもする。
しかし納得はできるが気持ちがついていかない、という曖昧さのまま、さらに大ヒットを飛ばして、5年かけて完済する。
その気持ちが変化したのは母親の死。
魔法の金縛りが解けた思い、なにかがコトリと音を立てて落ちた、とある。
兄の要求を拒めなかったのは、兄弟愛でも、親代わりだったでも、特攻隊の兄への憧れでもなかった。
母親を悲しませたくない、母親を幸せにしたい、その思いだけだったと気がつく。
絶縁をした兄は、あの手この手で関係修復を迫ってくる。
その見事さに戸惑うが、すべて突っぱねる。
兄の死後、事実を知りたいと戦友会に代理で出席。
見事な嘘に驚かされる。
中西政之

禮三の14歳年上の兄。
北海道小樽市生まれ。
そこで10年を過ごして、家族で満州へ渡る。
のち単身で東京で学生をするが、学徒出陣となり、飛行学校の見習い士官に。
終戦後は、小樽の実家で家族と合流。
父親亡きあとの家長として振舞うが、速攻というようにしてニシン漁の失敗で家をとられる。
すごいのは、悲壮感がないこと。
家を失った家族をほったらかしにして、残りの金で遊郭に泊り込んで、すっからかんになって「へへっ」と笑って帰ってきている。
以降、次々と会社を設立。
化粧品製造販売、空気ポンプメーカー、ビル建設、ミミズの養殖、ゴルフ場開発、土地取引。
あとは、レストランやバーもオープンしたりなど、アグレッシブに手がける。
が、ことごとく、いいところなしで失敗。
徹底した失敗ぶりには、爽やかさすらある。
借金については達人。
会社をつくるから借金ができるのか、借金をする口実の会社なのかわからないループに突入する。
家族を極貧に陥れるが、愛人だけはつくり楽しそう。
ある年の正月などは、いきなり家族の前で「あいつが1人でいるのが不憫だ」と泣きマネをして、激怒する妻の承諾を得てオシャレして出かける。
ここまでくると、むしろ潔よい。
禮三が成功すると、今度は大口の借金を繰り返す。
印税の受取り口座を無断で変更したりも。
あげく、小切手帳を無断で持ち出し偽サインをして切りまくる、などの不法行為にまで及ぶ。
咎められると、戦争中の空中戦を語って納得させるという才能を発揮。
頭上に敵機が来襲する、撃ち落とすためにエンジンを全開に発進する、そのときの甘美な浮遊感、などと澱みなく話すのは文学的ですらある。
最初の空中戦は恐怖でションベンを漏らす、でも回数を重ねるとそれが勃起になる、機関銃を撃ちながら射精をした、それがお前にはわからないだろう、というよくわからない理屈で正当化もする。
またあるときは、俺には墜落願望みたいなものがあるのかもしれない、それは玉砕ではなく散華という、だから愛人との腹上死を求めて突き進んでいるんだ、と延々と1人語りをして、ついには「兄さん!もうやめてくれ!」と禮三をわめかせる。
そのせいなのか。
原因は不明だが、禮三は心臓発作をおこすようになる。
すると彼は。
こっそりと禮三に生命保険もかけるという底がない恐ろしさも見せる。
中西和代

禮三の7つ年上の姉。
幼い弟の面倒を見ながら、兄の行状の文句をいい、振り回される母親を冷静に捉えている。
また全編にわたり、家族の中で、1番に泣いたり怒ったりしている。
満州から逃げるときは泣いて騒いで、母親からビンタされたり。
ニシン漁のときは、知らないおじさんに餅をもらってベソをかいたり。
小樽から東京へ向かう嵐の中の貨物船では、転げまわって泣いて叫んだり。
青森では、兄にいわれて、ヒロポンの小分けを泣きながら手伝っていたり。
弟の成功で涙ぐんだり。
兄の葬式でも泣き笑いをしたり。
でも不思議。
彼女が登場するだけで、悲惨すぎる出来事でも、どこか明るくコミカルに感じてくる。
中西美津子

政之の妻。
小樽の家から、家族として一緒に過ごす。
引越しのたびに、実家からお金を借りているようでもある。
長男の嫁として、半身不随となった義母の介護を25年する。
その間、政之は次から次へと愛人をつくり、3人の子供には無関心という状態。
結婚50年目になって、愛人宅にいた政之が病気で戻ってきてからは、死去するまでの1年を看病。
葬式のときは「この人は何者だったのだろう」とつぶやく。
でも不思議。
全編にわたり不幸臭がしない。
やりきった感みたいな清々しさを放っている。
おばば

小樽に住んでいた父方の祖母。
禮三母子が引き揚げてきて、さらに政之夫婦が合流してからの騒がしさに「うだて、うだて、恐ろしい魔物が舞い込んできたもんだ」と仏壇に拝んでいる。
悪い予感のとおりだった。
すぐさま家は高利貸しにとられる。
以降は、娘の嫁ぎ先に身を寄せた、というだけで消息は書かれてない。
登場人物の中で、1番かわいそうな人と思われる。
父親

1934年(昭和9年)、小樽から満州に入植。
相当な成功者となる。
学徒出陣した政之から「練習機で墜落した」 と聞くと「申しわけない」 と1機の戦闘機を国に献上。
さらには武運を祈り、牡丹江神社を建てもする。
が、ソ連侵攻で、すべてがなくなる。
捕虜として連行され強制労働に。
まもなく解放されて帰ってはきたが、過労と栄養失調で直後に死亡。
残された母子は小樽を目指して、1ヵ月におよぶ逃避行へと向かう。
母親

エピソードはいつくかあるが、ソ連侵攻後の混乱の中、路上で大福餅を売る場面は涙モノ。
今にも死にそうな飢えた子供を抱いた女性が、この子のために餅をひとつ恵んでほしいという。
でも母は、がんとして首を横に振り続けた。
組み合わせていた手は、指の先が白くなるほど力が入っていた。
歯を食いしばって、やさしい心と闘っていた。
生きるための闘いを身をもって見せてくれた人、と禮三の賛美は絶えない。
青森では古着屋をはじめる。
が、付き合いはじめた男に金を盗られたショックで脳溢血で倒れる。
以降、後遺症で半身不随となり、言葉を失う。
それでも、一家が困窮すると、金歯をはずして差し出したりして、ついには歯がすべてなくなってしまう。
ラスト3分の1のあらすじ
作詞した歌はなんだったのか?

母の死後、兄と絶縁して10年が経った1989年。
昭和が終わった。
すると。
歌を書きたいという思いが急激にしぼんだ。
このとき初めて気がついた。
今まで書いてきた歌のほとんどは、恋愛の体裁をとっていたけど、すべて昭和という時代への愛しさと恨みの歌だったのだ。
幻の故郷の満州を恋する歌だったのだ。
昭和という時代がなくなると、感情をぶつける相手がいなくなってしまった。
作詞以外に、胸の中を表現する方法を模索しはじめもした。
それから、6年が経って兄が死んだ。
通夜にいくと。
本人の希望で、遺体は日の丸に包まれていた。
白地には『壮士一度去って後戻らず』と、赤丸には『出撃』と墨書してある。
あまりの芝居がかった演出に、わずかに疑問を抱く。
そんなときに、兄が出席していた戦友会の知らせが届いた。
暴かれた兄の嘘

戦友会に代理で出席すると、兄の嘘が明らかになった。
飛行練習生であって、特攻隊ではない。
もちろん、空中戦の出撃などない。
どころか、飛行機も燃料もなくてやることもないので、棒倒しをして毎日遊んでいたという。
兄の嘘が明らかになるたびに、あまりの見事さに唖然としたし、軽い眩暈も覚えた。
もしここに兄がいたら「どうだ、禮三、恐れ入っただろう」と高笑いするのかも。
あいつは、いったい何者だったのだろう。
自分のふがいなさを、すべて戦争のせいにしていたのか。
墜落事故だけは本当であってほしいと思っていたが、やはりそれも嘘だった。
が、同僚の墜落を、目の前で目撃はしていた。
バラバラになった肉片を集めるために、震える手に箸を持ってつまんでいた。
当時の親しい友人は、兄を弁護する。
自分もこうなると恐怖心がつのって、重い記憶になって、実際の体験談のようにもなってしまう。
我々は丸裸で焼け跡に投げ出されて、今度は世の中と戦わなければだった。
私だって、世の中を納得させるために、やってもない空中戦を話したのも1度や2度ではない、と。
だんだんと、兄と話しているような錯覚もする。
兄の哀れさにも涙も滲んだ。
ラストの16ページほど

兄が死んでから5ヵ月後。
小樽に『石狩挽歌』の歌碑が建つことになって招かれた。
3月22日に予定したのは、その日が50年前のニシン漁の日だったからだった。
当日の午後。
あのニシン漁の浜まで行ってみることにした。
懐かしさではない。
歌碑が建つ場所を目にしたとたんに、兄に借りを感じたからだった。
小樽からタクシーに乗って、海沿いの道を3時間。
打ち砕ける灰色の波は『石狩挽歌』のリズムを耳に思い起こさせた。
50年ぶりに、その石浜に立つ。
記憶よりも少し小振りで、当時の名残はなにもない。
が、ここから家族の漂泊ははじまった。
兄のバカな失敗を、私が涙ながら満身の怒りを込めて吐き出した歌が『石狩挽歌』だった。
あの歌は、兄との共同制作ともいえるのか。
特別な歌だと、兄も感じていたと思う。
でも、小樽に歌碑が建つと兄に知られたら、また借金のネタにされてしまう。
だから秘密にしていた。
もっといえば、兄の人生の最後に、うれしいことがあるのが許せなかった。
でも今日。
歌碑が建つ場所を目にした瞬間。
それは悪意すぎたと思った。
もう病気で動けない身体だったから、見舞いにもいって、歌碑が建つと教えてあげてもよかったのか。
ともに喜ぶ相手を自ら失うとは。
なんという愚かな真似をしてしまったのだろう。
後悔も湧いてきた。
誰よりも、兄が死んでほしいと願っていたはずなのに。
それでも兄がいなくなった今、自分の影がなくなったような気がする…と、どこからともなく。
「お前が俺の影なんだ」という兄の含み笑いの声がする。
むかっとなって海を見た。
兄への未練を断ち切るように、真っ黒な海に向かって叫んだ。
「兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう」
返事はなかった。
波の音だけが、いつまでも打ち寄せ返していた…と終わる。


